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Welcome to my blog. This blog about my husband, Euan Craig, who is an Australian potter in Japan; about his works, making process, our life style and our family.

Euan Craig    A Potter's Life

このブログへようこそ。

陶芸家の妻、そして母である三日月こと私が綴るブログです。
オージー親父こと陶芸家の夫、ユアン クレイグの作品、制作過程、展示会や
家族との生活や色々な思いなどを書いています。

いわゆる贅沢はできませんが、
日本とオーストラリア両方の文化を取り入れたハイブリッド(?!)の生活をしています。

笑いあり、涙あり、歌あり、ジョークあり、賑やかに、
夫婦と子供たちと猫2匹で暮らしています。



21年間、益子焼きで活動してきたユアン。

東日本大震災で、震度6強の地震に被災し、
ずっと暮らしてきた栃木県を離れ、
私の実家のある、群馬県みなかみ町で再スタートし、
もうじき12年になります。

子供達の成長も含め、色々なことがありました。

まだまだ力が及ばないことも多々あり、
もがきながらも、私たちなりに頑張っています。

多くの方々、友人たちに助けていただき、
今までに色々なご縁に恵まれました。

ありがとうございます。

これからも私たちなりに頑張っていきますので、どうぞ見守っていてください。







2012/03/11

1年・・・



あれから1年・・・。

あの日、2011年3月11日は、
多くの人の人生や生き方を変えたと思います。


ニュースを見るたびに涙があふれ、
でも何もできず、
自分の無力さに思い知らされ・・・。

そしてまた、多くの人が元に戻ろうと、
もがきながら懸命に努力していると思います。

もがいても何もできない事もあると思います。
もがくことさえできない事も・・・。


先も見えず、本当に疲れた・・・。



つらい時に、ユアンに言われました。

「あの日を思い出してごらん。
大変だったけど家族の無事を確認した時どうだった?
何が一番大事か分かったでしょう。

今、自分のそばに、
その大事な家族が無事で一緒にいるでしょう。

すごく幸せなことです。
だから、大丈夫です。」



あの日、
私は益子陶芸美術館の職員として働いていた。

あの時、
震度6強に地震の中、
家族の事が心配だった。

停電、水道も止まり、電話も不通。
カーラジオからは津波の報道がパニックのような声で流れるだけで、
ほとんど情報が得られなかった。

来館者たちを安全な場所に避難させ、
大型バスの迎えが来るまで落ち着いていられるよう配慮しました。

やっと仕事を終え、
子供の迎えに帰宅する道は

信号機のライトは消え、
屋根の瓦は崩れ、
塀のブロックや大谷石が崩れ、
墓石は倒れ、
そして続く余震の中、
それらに反し、とても静かだった。


不安がいっぱいで車を運転し帰宅すると、

「まみぃ~!」と、
 庭で子供たちがニコニコと迎えてくれた。

「マミィが無事でよかった。」
と末息子は泣きだし、家族みんなで抱き合った。

私は涙でみんなの顔がにじんで見えた。
みんな泣いて、笑っていた。



私は、なんて弱気になってたんだろう。
大切な事が見えなくなっていた・・・。



大変な事があっても、がんばれば何とかなる。
何ともならなかったら、違う方法もある。
何も方法がなかったら、ちょっと脇においてもいい。
ちょっと休んでもいい。

この子供たちの笑顔に囲まれている事を忘れちゃいけない。

ああ、がんばろう・・・。



子供たちの笑顔や、
家族や友人たちの励まし、手助けがあり、
本当に多くの人に支えられ、自分は一人じゃないと思え、

また頑張る力が湧いてきました。
また笑う事が出きました。

大丈夫、何とかなると思えるようになりました。

心は弱い、
けれど、心は強くもあるのですね。





今まで多くの方々に励まし、助けていただきました。

まだまだ再スタートするには先が長いです。
でも、ゆっくりですが前に進む事が出きました。
本当にありがとうございます。


そして、
東北大震災で亡くなった方、
まだ行方不明の方、
心よりご冥福をお祈りします。

いまだに避難生活の方、
復興しようと頑張っている方、
どうか平和と安心が得られる事をお祈りします。

頑張って生きる、幸せに生きる事に
後ろめたさを感じないでください。
幸せに笑顔で生きる事が何よりも
失った方たちへの追悼になるはずです。




今日は、
家族みんなで普通に過ごします。
普通という幸せを味わいます。