あんなに元気で、楽しくて、
明るくて、パワーいっぱいの
ユアンでも落ち込むことがある。
自分で決めた道を進んでいても、
不安や迷い、自信をなくすことも。
自分が一生懸命していること、
信じていることを、
皆に理解してもらうのは
難しいことだと分かってる。
でも、つい家族や兄弟などの身内には
それを期待してしまう。
ただ身内だからといって
理解できるとも限らない・・・。
陶芸はやはり専門職で奥が深い。
本当に理解するには技術的・芸術的知識も必要になる。
妻の私でもユアンのしていることは理解しているつもりだけど、
難しくて分からないこともいっぱいある。
でもユアンが信じて選んだ道は、
大変だけれど間違いではないと思っている。
精一杯支えて、応援してあげたい。
ユアンが、大学で陶芸を専攻すると決めたことを家族に告げた時、
「便器の学位をとってどうするんだ? 才能を無駄にするのか?」
というようなことを兄は言った。
オーストラリアでは一般的に陶芸は趣味のイメージが多い。
職業として見ない人もいる。
陶芸一本で生活するのも難しい。
だから大学や高校で先生をしながら陶芸をしている人など、
他に仕事をしながらという人が多い。
そしてまた陶芸は趣味というイメージが強くなる。
ユアンはもっと他の事をするべきだ、そうすればもっと才能を生かせ、成功する、
と多くの人が言ったそうです。
もったいないと。
医者、弁護士、哲学者、ビジネスマン、小説家など他の事を・・・。
ユアンの人生の基準としていることが、
他の人の基準と違っていても間違とは限らないと思う。
それに、もし違う職業を選んでいたとしても、
結局ユアンのポリシーは変わらないと思う。
もし医者になっても損得でなく、
人を助けるために尽くしそうで、
もし弁護士になってもお金や有名になることでなく、
弱き者のために尽くしそうで、
そして腕があるのに昇進しないとか、
お金を稼がないで勿体ない、とまた言われると思う。
子供の頃、父親の手伝いをしていて、
「どうしていつも大変な方法でやるんだ?」
と言われたそうです。
「大変でも、それが正しいからそうしているんだ。
でもそんな事言えなかった。」
とユアンは言いました。
しかし、
大学を卒業してすぐ窯を持ち陶芸を続けたユアンを、
両親が訪ねて来てくれた時に、
店内のお客さんに作品について、
父親が一生懸命説明してくれたことがあるそうです。
とても、うれしかったそうです。
また、父親がユアンの粘土の説明を聞いた後、
「陶芸や粘土のことは自分には分からないけれど、
ユアンは情熱を持って知識と技術を学び、
一生懸命頑張っているんだな」
と言ったそうです。
もし、父親がもっと長生きしてくれていれば、
父・息子、男同士の関係をこれから築いていけたでしょう。
でもこの話から、亡くなる前に息子を理解し、
そして誇りに思ってくれた、と私は思います。
母親も食器棚にずっとユアンの作品を置いていてくれました。
初めての作品から色々。
「一番最初のファンは私よ」と言ってました。
陶芸というものを理解していたかは分かりませんが、
ユアンのことを自慢に思っていてくれたのは分かりました。
来客があるといつもうれしそうに作品を見せていました。
それに作品を買ってくださる方も、作品を気に入ってだけでなく、
作品を通してユアンを見て下さっているように思えます。
それだけの情熱を持って作ったものだからこそ、
作品はユアン自身でもあるのだと思います。
どんなに自分の生きる道と選んで頑張っていても、
時には立ち止まり悩むのですね。
でも、また力強く歩き出すのも知っています。
自分で切り開いた道だから。
私も一緒に歩いていくね。
もしもの時は、私が守ってあげるよ。
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